アットホーム留学誕生ストーリー(1−8)〜マキの誕生から通院漬けの小学校時代〜

アットホーム留学 アットホーム留学誕生ストーリー

 

明けましておめでとうございます!

アットホーム留学プロデューサー
サンシャインマキです。

2016年も引き続き
どうぞよろしくお願い致します。

 

ママ・パパが先生に。
子どもたちの「やさしいこころ」が育つ
新しい英語楽習

アットホーム留学。

 

和製英語の「アットホーム」
=温かい、心暖まる

英語の「アットホーム」
=家庭で、家にいるような状態で

の両方の意味を兼ね揃えています。

 

私の思いが詰まっています。

 

私がどのような経験を経て、
どのような気付きがあって、

このコンセプトが誕生したか。

 

共感していただけたら、そして

今後の「子育て」「生き方」などに
少しでも活かしていただけたら

 

嬉しいです。

 

今日から8日間、
マキの誕生から
『アットホーム留学』の誕生までの
ストーリー。

ゆったりコタツに入りながら
読んでくださいませ。

 

 

⬇⬇
【『アットホーム留学』誕生ストーリーその1】
〜マキの誕生から通院漬けの小学校時代

 

 

愛知県豊橋市に生まれました。

寡黙で冷静、真面目で優しい。
いつも聞き役。
いつまでも向上心を失わない、
「学び」の見本の父。

 

自由奔放で天然キャラ。
とにかくしゃべりだしたら
止まらない。

常日頃の生活から
「愛」と「家庭」の大切さを
教えてくれる母。

 

マイペースでおっとり。
だけど芯が強く、
「スピリット」の部分を
教えてくれる姉。

の4人家族。

父の仕事の関係で、
3歳のころに横浜に移り住みました。
 

姉とは3つ離れていて、
いつも「負けじ」と
同じことを自分でも
やるようになっていました。

 

この頃からかな、すでに
「なんでも自分で!」とやりたがり、
いつの間にかお手伝いもよく
するようになっていました。

幼稚園入園と同時に、これまた姉の影響で、
ピアノもスタート。

がとにかく大好きで、

電車の音、そこで生まれるリズム
お風呂のお水のしたたる音、
不定期なリズム

 

風の音、雨戸の音・・。

動物の鳴き声

そして人の声。
 

幼い頃からあらゆる「音」
関心を持っていました。

家族非常に仲も良く、
楽しい思い出もたくさんあるのですが、

やんちゃでおてんばだったのか・・・

早速突然悲劇が襲います。

 

年少の時、遊具のたいこ橋から落ちて
顔面を強打。
(おそらく、この時脳も強打。

この一瞬の出来事から、
私の通院漬生活の幕開けです。

結果的に『アットホーム留学』の
大事な要素にもなるような
学び
得ることができたものを、、
軽くあげてみます。

「歯」:この幼稚園での事故のせいで、
小学校卒業まで矯正をつけ、
手術等も行う。

 

壮絶な治療と通院生活でしたが、

通院の時に得られた大事な宝物、

それは、

母を独占する時間。
 

小学校低学年の頃は、
姉が受験生活をしていて、

母は姉にどっぷり。

 

父が週末たくさん連れ歩いてくれたし、
家族旅行も欠かさずいっていましたが、

やはりどこか寂しい気持ちがあって
母にこっち向いて・・・
と伝えていたのかもしれません。

どんなに忙しくても、
母はとびっきりの愛情を持って

寄り添ってくれました。

母と通院する際の

電車の音とかリズムとか、

今でも覚えています。

どんな漫画を読んでいたのか。
何を食べたか・・・。

鮮明に覚えているのです。

マキちゃんよく頑張ってるね、
えらいね。

 

この一言がどれだけ嬉しかったか・・。

五感の記憶ってすごい。
そして、言葉の力ってすごい。

子どもにとって大切なものって、
「物」とかよりまず

ママとの時間。そして愛。

短くても、「心一緒に」時間を
母親と過ごすって

とっても大事だとの学びを得ました。

「目」:小学生低学年の頃から
近視、遠視、乱視、斜視を併せ持ち・・・
小3でビン底メガネ。
(塾の教科書は拡大コピー。)

 


(正直アグリーベティ見たときは、
自分の小学校時代を思い出しました・・)

 

その後

「輻輳不全(ふくそうふぜん)」という、
物が二重に見える病気を発症。

焦点を合わせるのもしんどい時が多々。

MRIで脳を調べたり、
何度も大学病院に通う。

通院漬の割に、回復もしないし、
原因もわからないまま。

病院の診断は、

幼稚園事故の後遺症か、
自律神経失調症の疑い。

 

でも結局のところ原因不明。

 

「こういう病は、、、
自分で克服していくんだよ。」

大学病院ではなく、

地元の眼科医の先生に、
この言葉を言われて、

今までの通院は何だったんだ!!!
と思いながらも、

正直ものすごく腑に落ちました。
 

嘆いても始まらない。
その病気を自分なりに受け止め、
乗り越えていくしか

ないんだと、幼いながらに理解。

ある意味単純だったのか・・

中学に上がるころには、
物が二重に見えるのは、

本当に目を酷使したときだけ、
にまで回復しました。

 

振り返ってわかることですが、
小さい頃からこうやって、

 

自分の力を信じて、
辛いことも痛いことも、
克服していく経験が出来たことは、
後の自分の強さにもなりました。

でも、告白すると・・。

負けず嫌いだった性格もあり、
なかなか
誰かに
泣きつくことができない状態でした。

体の不調を通して
主張していたところも
あったと思います。

子どもってなかなか
「言葉で表現できない」んですよね。
 

そんな時、
「言葉」ではなく、
「態度」や「体調」に
明らかなサインが出てきます。

だからこそ、

ママパパが常にそれに気付けるような
心や時間のゆとりが必要。

「かん」じて受けとめる力も必要。

 

そして、

子どももまた、
「言葉」で表現できるような力を
つけていかないと

そのまま大人になってしまう。

わが身をもって幼いながらに体験し、
学んだエピソードでした。

次回は、小学校で学んだこと。
プログラム化された授業「以外」で
学んだこととは何だったのか。

お楽しみに。
 

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